2021年2月8日月曜日

【記事紹介】吃音を克服しなければいけないか? 朝日新聞のオピニオンから

―― 朝日新聞2021年1月29日 オピニオン&フォーラムに 吃音「克服」への違和感 という投稿がありました


・朝日新聞に大学院生 加賀沙亜羅氏からの投稿が掲載されました

【以下投稿された記事】

「克服」は何を意味するのだろうか。辞典には「努力して困難にうちかつこと」などとある。「病を克服する」という例文も。では「病の克服」の意味とは?

米大統領選でずっと気になり、見逃せないことがある。各種報道が新大統領バイデン氏に関し、「誌の朗読で吃音を克服」などと紹介していることだ。

私には吃音障害がある。発達障害の一つとされ、必ずしも「治る」ものではない。自身の学業や人間関係の苦難は割愛するが、鏡の前での発話練習や誌の朗読、CDに合わせた発声など一通りの努力はしている。しかし、治らない。

氏が吃音の症状が出ないように工夫してきたのは素晴らしい。だが「治った」わけではないはず。実際、氏は今も言葉に詰まる場面が見られる。そんな中、「吃音を克服」と報じることで、「吃音は努力で治せる」との誤解を世間に与えないだろうか。

「克服」の表現で何を伝えるのか。どういう印象を与えるのか。メディアは再考してほしい





―― 大学院生の投稿は正しい メディアの報道姿勢そのものが問われる

バイデン大統領については吃音をもった大統領という、またそれを克服し大統領になったという報道が日本国内でされている。しかし本当にそれは多種多様な選択肢のひとつであって、誰もがそうなれるとも言えない現実がある。バイデン大統領というのはバイデン大統領という一人の人間の話であり、それが全ての吃音児者にあてはまるかと言えばそうではない。

たまたま吃音があって、世間的に生活水準が高い生活をしている人もいるかもしれないが。その逆もありえるし、常に吃音という存在が人生にまとわりつき、あのとき、あの人、あそこで発言していれば、今は違っているかもしれないという後悔の念を持つ人もいるだろう。報道をする側の人間は。そこまで考えて取材報道をしてほしいところであるが…。

吃音業界は、吃音を障害にしないように。可哀相な障害者にしないように。保護者にお子さんは障害者じゃありませんと教える。などなど本当に吃音至上主義という差別が蔓延している。(吃音の子どもの保護者さんは、吃音業界団体のイベントに参加することもあるかもしれないが、その際に【吃音は障害じゃないよ、障害者は可哀相な人達だよ。あんなふうになってはダメだよ】と教えられた人もいるかもしれない…。もしも差別の心を植え付けられるような事があれば、今後参加しないほうがよいでしょう)

その中でも『吃音を持った有名人※1』を数多く取り上げて。世の中には、こんなに成功している吃音者がいる。あなたもそうなりなさい。というパターナリズムが横行する現実がある。

※1

有名人とは。王族、議員、弁護士、会計士、医師、言語聴覚士、教員、自衛隊員、警察官、消防官、公務員、一部上場企業職員、教授、理学療法士、営業、エンジニア、芸能人、経営者、コンサルタント、研究者、文筆家、漫画家、音楽家、演奏家、映画監督などなど


発達障害業界でも『発達障害を持った有名人』エピソードはあり。吃音業界ほど深刻ではないが。発達障害業界でも2005年前後、第一次発達障害ブームが起きた際、発達障害を持ったすごい人列伝があった。2021年現在は『たしかに発達障害の才能が現在社会の仕組みピタリとハマり。大活躍する人もいるけれど。そうではない人もいるよね。』という認識が広まっている。NHKが発達障害を報道するとき、才能をもった凄い発達障害児者が放送されると『視聴者から、全ての発達障害の人がそうではありません。そのような報道は気をつけてほしい』とリアルタイムで意見が入り、生放送でその声を伝えることもあった。シブ5時だったような記憶。

しかし2021年現在でも。発達障害(吃音含む)は資産、才能、武器、特別な能力という形で発達障害の啓発啓蒙、発達障害サバイバル(オープン、クローズ問わず)をする当事者や支援者もいる。発達障害とはどのような特性があるのか。知的障害との併存如何。困っている人はどのようなところにいるのかな。困っている人も本当はいるよね。という視点は大切にしてほしいところ。発達障害(神経発達症として知的障害も含み)とはそのまま全ての特性がスペクトラムで個々人がレーダーチャートとして特性ごとの強さを持っているよねという価値観が広まる日本社会に――。


発達障害のある人が生まれた家。保護者の収入。保護者の価値観。学校でいじめられた? 不登校になった? そんなことはなく通学できた? 自己肯定感は? 学校はつまらなかったかもしれないけど自宅で好きなことや勉強ができた? 家庭内で虐待されたか? ということも考えられる。

成功している吃音先輩を見て、『ウチの子どももきっとああなる。大丈夫だ。子どもは障害者じゃない。私達は障害児を産んでない。努力して克服しない吃音者は怠け者。堂々と365日いついかなるときでもどもりまくらない吃音者は逃げているだけ』などと認識する保護者もいますし。その保護者に洗脳される吃音児は成人する、社会人になるまでは居心地がよいかもしれない。そのまま成功している吃音先輩と同じ土俵や同じ生活レベルを維持できる世界にいけば、吃音で困っている奴らはただの怠け者と思い続けるかも場合もあるだろう。また、子どものときに可哀相な障害者という価値観を植え付けられてしまえば、差別する側に自然と立っている可能性もある。



―― 大学院生の投稿に発達障害と書かれているところは重要なこと

大学院生の投稿(以下 記事欄)は、新聞、テレビ、ラジオ、映画や漫画、ネットメディアの吃音に対する姿勢への違和感を示唆している。

記事文中でも、吃音は発達障害の一つして。と書いているように大学院生の強い声が伝わる。

昨今の吃音に関する報道、テレビ番組などは『吃音は2005年4月から発達障害者支援法の対象であり、ASD、ADHD、LD、トゥレット症候群の当事者と完全に同様な社会保障制度、支援制度、合理的配慮、精神障害者保健福祉手帳の取得、法定雇用率枠での就労が可能である』とは報道しないのである。(なお最新の診断基準、ICD11で発達障害は→神経発達障害群または神経発達症群とされる。神経発達症には知的障害が含まれることも重要)

殊更日本国内では、『吃音と発達障害、精神障害』を結び付けないようにする報道や放送が多くみられる。Googleニュース記事検索で「吃音」を検索した場合に。吃音は発達障害者支援法の対象である。と明記している記事はどのくらいあるだろうか。発達障害者支援法、障害者総合支援法、障害者基本法においても『障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)』というように発達障害を含むとされ。吃音は発達障害者支援法に含まれる。

2021年。令和現在。今でも日本国内、全都道府県において、吃音を診療する病院が設置されていない。子どもが吃音だ。吃音以外にもASDやADHDやLDがあるかもしれない。感覚過敏や感覚鈍麻があるかもしれない。不器用だ。と悩んでいる保護者もいるかもしれない。

2005年4月から吃音業界が障害者運動をしていれば。発達障害者支援法19条により病院が設置され、わざわざ飛行機や新幹線を使い遠く離れた、吃音専門病院に行くこともなかったであろう。吃音以外の発達障害も同時にあるかもしれない場合にも早期発見が可能になり、選択肢を知ることができた可能性もある。吃音のある当事者や子が吃音という保護者にも多種多様な選択肢を持てたことになる。自死自殺、ひきこもり、ニートという選択をしない可能性も考えられる。

吃音のある学生の新卒就活でも障害者枠就労をもっと早い段階で選択肢のひとつとして知ることができた人もいたかもしれない。


―― 吃音を取材報道する側の人はどうしたらいいか?

これはシンプルに、まず、吃音は発達障害者支援法の対象であることを説明。

また、どうして2005年4月から存在する発達障害者支援法があったのに。吃音だけが、ここまで支援が遅れているのかを取材すべきでもある。吃音者の自死自殺報道の際も、その背景を取材した記者がいたのだろうか? ただ、起きたことを報道するだけではなかったか。吃音は発達障害者支援法に含まれていたと報道したところはあっただろうか。なぜ一般的に言われる発達障害の人々のように多くの選択肢があるはずなのに。それが行使できない状況になっていたのか。これらを取材報道することも大切である。

子どもや保護者に吃音は障害者じゃないよ。可哀相な障害者とは違うから大丈夫ですと教える吃音業界団体が本当はあるのではないか? それ故に発達障害者支援法の周知が遅れたのではないか? という視点での取材報道も必要である。

吃音が努力で治せる。または克服できるという内容も本当にそうなのかよく取材することも大切である。治りやすい吃音なのではないか? 治りにくい吃音なのではないか?の部分である。